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5.4 競争的な労働市場における訓練投資編集

アカデミックな経済学者にとって、訓練は長きに渡り興味の対象だった。Pigou (1912)は、企業にはその労働者の技能へ投資を行う効果的な誘引がないと主張した。訓練を受けた労働者は退職して、その技能を必要とする別の雇用主のところで働くことができるからだ。Rosenstein-Rodan (1943)は、「ビック・プッシュ」についての彼の有名な論文において、市場の需要だけでなく技能の重要性を指摘し、そして労働者の訓練は工業化の前提条件であるが、実現は難しいと述べた。よって、これら初期の貢献は市場経済における労働者の技能への正しいレベルの投資の実現の難しさを強調するものであった。こういった研究からの政策的提案は、学校だけでなくオン・ザ・ジョブでの訓練にとっても政府助成金が必要だ、というものだ。 訓練についての現在の考えは、ゲーリー・ベッカーの独創的な仕事によってかたちづけられており、まったく異なった結論を述べている。ベッカー(1964)は一般技能と特殊技能を区別した。一般技能は他の雇用者の元でも同様に有用なものであると定義される。対して、特殊技能は労働者の現在の仕事の生産性を引き上げるものだ。ベッカーの意味での一般技能は、上で定義された一般目的技能(general-purpose skills)と同じものではないことに注意してもらいたい。一般目的技能は多くの職務において有用なものであり、しばしばより抽象的な技能である。対照的に、今の文脈での一般技能は特定の職務、あるいは産業に非常に特化したものでありえる。しかし、ただ一つの雇用者にとってだけではなくて、多くの雇用者にとって有用という意味で、それは一般的なのだ。よってそういった技能についての労働市場は、その技能を持つ労働者を雇おうと多くの企業が競争することで、競争的なものになる。 ベッカーはPigouの主張は一般技能について適用される事を指摘した。実際、労働者がその限界生産物を受け取る競争的な労働市場においては、企業は一般技能への投資から利益を得る事ができないので、企業が一般訓練について支払う事はありえない。しかし、ベッカーは労働者自身がその一般技能を改善する正しい誘引を持つ事を述べた。競争的市場においては、彼らは彼らの生産性向上からの唯一の受益者なのだ。さらに、労働者は訓練の期間中にその生産性よりも低い賃金を受け入れることによって、そういった投資を実行する事が容易にできる。この主張は、古の徒弟制度をうまく説明するように思われる。徒弟たちはその職業を完全に習得するまで、謝礼[fee]を支払ったり、非常に安い賃金で働いていたりした。ベッカーはまた、労働者は仕事を変えた時により高い生産性から利益を受けることがないという点で、特殊技能への訓練は非常に異なったものであると主張している。よって企業は特殊技能への投資から利益を得ることができるので、特殊技能の訓練への投資費用の一部を支払う意欲を持つのだ。 この研究の重要な結論は、訓練への市場の失敗は必然ではないという事だ。労働者が、自身のポケットからであれ、あるいは[その生産性より]低い賃金を受け取る事によってであれ、訓練への支払いを行える限り、正しい規模での投資が行われるだろう。だから技能への投資が十分でないというのは、労働者への融資が深刻に制約されている時にしか起こらないのだ。しかしこの場合には、解決法はよりよい融資市場であって、訓練への直接的な補助金ではないだろう。よって、ベッカーの独創的な貢献は政府規制と訓練への補助金を支持する議論への強い疑問を呈するものだ。 企業がその従業員への一般訓練の投資を行わないのに、なぜ労働者が正しい誘引を持っているのか、そして融資市場での問題の存在、あるいは契約の不完全性がある場合にどんな問題が起こるのかをよりはっきりと説明する為に、簡単なモデルを考えてみるのがいいだろう。時点0で一人の労働者が雇用されたとしよう。その時、彼は訓練を受けることができて、時点1で彼は生産的になっている。その労働者の時点0での生産性を0と正規化しよう。時点1での労働者の生産物をf(τ)で表す。τは彼が受けた訓練のレベルだ。訓練費用はc(τ)とする。[異時点間での]割引は行わない。[モデル内の]すべての人間はリスクニュートラルであるとする。図7はこの二つの関数を描いたものだ。今のところの目的の対象に専念する為に、すべての技能が一般的だとしよう。よって、労働者の生産性はどの企業においてもf(τ)となる。

図7

図7:競争的労働市場における訓練誘引

時点1においてτの訓練を受けた労働者の賃金をw(τ)と表そう。競争的労働市場であるとは、多くの企業が時点1での労働者の労働サービスを求めて競争する状態にあることだから、w(τ)=f(τ)が成立する。もしそうなっていなければ、すべての企業が労働者を雇おうとして労働サービスへの超過需要が発生する。重要な特徴は、最初の雇用者の元での労働者の賃金は、別の企業で労働者が受け取れる賃金と変わりがないという事だ。これは彼の技能はすべて一般的あり、そして移動に関する費用が存在しないためだ。このことは、企業は労働者の訓練の為に投資しない事を意味する。その投資を回収する事ができないからだ。 さて、もし競争的労働市場において企業が訓練の為に金を出さないなら、労働者はどうだろうか?この疑問に答えるため、最初に労働者が訓練の規模とそれを自身で賄えるだけの私財を持つという仮定のケースを考えてみよう。競争的労働市場では、労働者が訓練への投資からの利益の残余請求権を持つことは明らかだ。よって彼は、図7で表されているように、c'(τ*) = f'(τ*)、となるτ*>0の効率的な投資を選択するだろう。これがベッカーの主張する結果だ。市場は、企業が労働者の技能への投資を行うことなく効率的なレベルでの訓練を達成できる。しかし、これが実現するには二つの重要な必要条件がある。 まず最初に、労働者は訓練に投資する資源を持っていなければならない。上で述べた場合には、労働者は時点0では生産的ではない。よって彼は企業が支払う支出を賄う為の支払いを企業に行わなければならない。現実にはほとんどのオン・ザ・ジョブでの訓練はフルタイムではないので、労働者は何らかの生産活動を行う事が可能である。その為、企業に支払うのではなく、賃金カットなどにより訓練費用を自分で賄うことができるわけだ。しかし、労働者が消費の円滑化を行いたいのに融資市場が不完全な時には、そういった賃金カットはコストの高いものとなる。たとえば、凹かつ異時点間で分離可能な効用関数を持った労働者が、両方の時点で同じレベルでの消費を行いたいとしよう。融資がない場合、時点0での賃金カットはその希望する消費パスから労働者を遠ざけてしまう。なので、労働者がその訓練期間中に生産的であっても、技能への効率的な投資は融資市場の完全性を要求する。それは、内在的なモラル・ハザードや逆選択の問題の為にまずありえない事だ。よって、訓練へ投資する労働者の能力は実際には限定されたものになるだろう。 労働者が一般技能へ投資できるためには、第二の条件もある。上でも指摘したように、訓練への投資は企業と労働者、双方によって共同で行われる点で学校とは異なっている。労働者は職業訓練のコースを取る事ができるが、多くの技能は生産活動、ラーニング・バイ・ドゥーイング、そしてより経験をつんだ同僚からの指導を組み合わせたオン・ザ・ジョブの訓練から最もよく学ぶことができる。しかし、雇用関係は労働者の時間のコントロールを雇用主に与えてしまう。よって、企業は訓練を約束して低賃金を支払いながら、労働者を通常の生産活動につかせる事ができてしまう。 この可能性は、何が訓練を構成するかを裁判所が容易に判断できるなら避ける事ができる。雇用契約に雇用者の訓練の義務をはっきりと明記する事ができるからだ。しかしながら、訓練プログラムの重要な部分は指導を受けたり、アドバイスをもらって実践するなど目に見えないものである為、事前に特定しておいて個々のケースでの企業のその尊守を監督するのは非常に難しい。この問題は長期間のモデルでは解決されるかもしれない。訓練の約束を守らない企業は悪いうわさが立つからだ。しかし、企業内での訓練の実践は部外者には観察の難しいものであり、そして訓練の利益は個々の労働者の能力と努力に依存するので、労働者の将来所得から訓練[の効果]をはかるのを難しくしてしまう。こういった理由のために、たとえばドイツでは外部の機関と労働評議会[works councils]が徒弟制度のプログラムと技能資格のカリキュラムそしてその実践を監督している。よって我々は企業と労働者の間での契約上の困難を、労働の現場での訓練を「購入」する労働者の能力へのさらなる制約とみなすべきだろう。

(以上、okemos訳でございました。)

(p.62-p.66 l2まではお任せ! ぼくは結論だけに興味あるので、この節のそれ以降をやっときましたよ。山形)

 上の議論が示すのは、一般訓練に対する労働者投資は、融資市場の問題や、企業と労働者間の契約上の問題があるので、効率的な結果に達しない可能性があるということだ。だがベッカーの訓練理論にとってもっと重要なのは、企業が従業員の一般技能には決して投資すべきでないという結論だ。この予測はどこまで当たっているだろうか? 企業はかなりしょっちゅう、従業員の技能に投資している。実際の世界で見られる訓練研修投資についての一般理論による説明は、そうした技能が固有性を持つ者だと指摘したり、労働者自身が生産性より低い賃金を得ることで、実質的にその研修費用を自分で負担しているのだ、と論じたりするものだ。だがこの説明の有効性を疑問視すべき証拠がかなりある。

 まず、ほとんどの技能はそれぞれの産業固有のものかもしれないが、それでも同じ業界で似た技術を使う企業はたくさんあるのが普通だから、それは「一般」技能である可能性が高い。たとえば、印刷機を使うノウハウは、印刷業界の外ではあまり使い道がないが、同じ業界の企業はそうしたノウハウをとても価値あるものと見なすだろう。したがって訓練プログラムの中で習得された技能が固有技能であるのは、その企業の中だけに使われている技術や手法に関する場合だけだ。ほとんどの技術や手法は多くの企業で共通のものだから、訓練プログラムで習得される技能のほとんどは一般技能となる可能性が高い。したがって、標準理論で訓練プログラムの存在を説明するには、労働者たち自身がそうしたプログラムの全費用を負担していると論じるしかない。

 しかしながら、多くの訓練プログラムの実例では、その内容が一般的なものであり、また企業がその費用のかなりの部分を負担していると示唆する証拠がある。ドイツにおける、見習い制度プログラムが雇用主に与える費用を推計する研究が三つある。これは訓練を行う企業に、その会計上の費用と見習い社員の生産性を尋ねて、訓練の純費用を見極めようとしている。このうちもっとも慎重な調査は1991年にドイツ連邦職業訓練研究所 (Bundesinstitut fur Berufsbildung) が行ったもので、von Bardeleben, Beicht, and Fehér (1995) に記述されている。第一歩は、見習い職員や訓練講師たちの給料、訓練の教材や設備費、施設費や、外部研修の直接費をすべて足し挙げて、総費用を計算することだった。さらにこの調査は見習い職員の生産性を推測した。これは見習い職員の上司たちに、その仕事ぶりや生産性について尋ねることで得ている。見習い職員の算出の金銭換算は、技能のある職員が給与をもらって行う生産活動に、相対的な見習い諸君の生産性の比率と生産活動時間をかけることで得ている。Acemoglu and Pischke (1998) はこうした調査の結果をサーベイして、いろいろ想定を大幅に変えても、こうした訓練投資では相当な部分の費用が雇用者によって負担されていることを示している。したがって全体としての証拠は、保守的な想定のもとでさえ、ドイツの大企業は見習い職員に一般訓練を提供するために、かなりの財政費用を負担しているということを示唆している。同じような調査が他国でも存在している。たとえば Ryan (1980) はアメリカの造船所における溶接見習い工を調べ、 Jones (1986) はイギリス製造業における見習い工を調べた。こうした調査のすべては、見習い職員訓練のためにかなりの純費用を(企業が)負担していることを示している。

 また、大学やMBA, 識字プログラムや問題解決研修に従業員を社費で通わせる企業の例はたくさんある。その場合でも、こうした便益を得る労働者の賃金は下がったりしない。さらにコンサルティング会社など多くの企業は、大卒者に対して一般技能を含む研修プログラムを提供している。こうした雇用主はふつうはかなりの給与を支払っており、フルタイムの講義研修の間でさえも金銭費用をすべて負担している。

 こうした証拠をもとに、 Acemoglu and Pischke (1999a,b) は訓練の単純なモデルを超える必要があると結論づけている。それらの論文では、企業が従業員の一般技能に投資するインセンティブを持つのは、不完全競争の労働市場においてだけだと論じている。これについて次に述べよう。


『人的資本政策と所得分配』:section5.5

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