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6 不平等を縮小する政策 (Policies to Reduce Inequality)編集

本レポートでは,ここまでの3つのパートで不平等の主要な決定要因を提示し,人的資本投資の理論を検討してきた.いまや,政策を論じるべき段階だ.人的資本政策は人的資本へのさらなる投資を促すものであり,これは本レポートの焦点の中心なのだが,まずは不平等を縮小させるのに有益な他の政策から出発し,その後に人的資本政策の考察に移ることにする.さしあたっては,こうした様々な政策の相対的な有効性について考える上でニュージーランドの経済・社会のどのような特質が重要となるかをはっきりさせておくのが有益だろう.とりわけ,ニュージーランドの場合について考えるには以下の問いが関連してくる:


  1. 労働者のスキルに関してニュージーランド経済はアメリカ・オーストラリア・カナダとどのような異同があるだろうか? 証拠の多くはアメリカに関するものを参照する.アメリカではスキルの不足は比較的にわずかだ.ニュージーランドでは他の諸国よりもスキル不足が深刻だとすれば,人的資本政策はより効果的となるかもしれないと考えていいだろう.
  2. エンジニアやマネージャーといった,先進テクノロジーの吸収に必要なスキルのある重要な人員は不足しているだろうか? 特定のタイプのスキルが不足している場合,特定の労働者の給与が上昇することで不平等に大きな影響が出るかもしれない.また,どのようなタイプのスキルが不足しているかという点は,考慮されるべき政策のタイプと明らかに強く関連している.
  3. 人的資本は適切な報酬を受けているだろうか? たとえば,他の諸国と比べてニュージーランドでは教育へのリターンはどのようなものとなっているだろうか? ニュージーランドにおける教育へのリターンの率は類似した他の国よりも高くなっているようだ.よって,賃金圧縮政策は教育を受ける意欲を下げるという点で実質的なコストはないかもしれない.
  4. ニュージーランド経済における広義の人的資本はどのような構成になっているのだろうか? どのようなタイプの人的資本(より具体的なスキル,一般的なスキル,抽象的なスキルが)の供給がより不足しているのだろうか?
  5. アメリカやカナダと比べて,ニュージーランドでは,労働市場への影響という点で国際貿易はどれくらい重要だろうか? より開かれた経済であるほど,スキルの供給に生じた変化がスキルの価格と不平等に及ぼす影響はより限定されたものとなる.
  6. ニュージーランドにおいて,生産の部門構成はどうなっているだろうか? オフィス設備やコンピュータ設備,生産者耐久財,医療テクノロジーおよび化学といったハイテク産業のシェアでニュージーランドはアメリカにどれほどの遅れをとっているのだろうか? 一般にスキルへの多大な需要を創出すると考えられている部門がある.ニュージーランドにおいてそうした部門での生産のシェアが大きく伸びると予測されるなら,スキルへの需要と不平等はさらに大きくなるかもしれない.
  7. ニュージーランドで実施中のプログラムはどの点において人的資本の蓄積の奨励が不足しているだろうか? 
  8. 現時点で,ニュージーランド経済の再分配税制の構造はどのようになっているか?
  9. 賃金圧縮を促す政策でいまニュージーランドにあるのはどのタイプの政策であり,それらはどれほど効果的なのだろうか?


こうした政策議論の一部ではニュージーランドに特有の文脈に短く言及するが,こうしたプログラムのさらに完全な推計のためにはニュージーランド経済についてもっと詳細な知識が必要となる.


6.1 賃金圧縮 (Wage Compression)編集

民間部門の賃金構造に圧縮を引き起こすのは,不平等を縮小させる直接的な方法だ.政府が介入すれば,様々なメカニズムによって賃金の圧縮を引き起こすこともできる.おそらく,もっとも直接的な賃金圧縮政策は最低賃金を設定することだろう.最低賃金〔の法制度〕により,雇用主は低賃金労働者により多くの賃金を支払うよう強制される.多くの経済学者たちも,そうすることで溢出効果 (spillover effect) が生み出され,最低賃金に直接の影響を受けない労働者の間にすら賃金圧縮が引き起こされると考えている.多くの証拠が示唆するところによれば,最低賃金はたしかに賃金分配に実質的な影響を及ぼす.アメリカについては,DiNardo, Fortin and Lemieux (1995) と Lee (1999) がそうした証拠を提示している.2つの研究がともに発見しているのは,アメリカにおいて1980年代のインフレにより最低賃金の実質的価値の浸食が生じたことで,分布の底辺で最低賃金の分散〔ばらつき=格差の広がり〕につながり,また,その後 1990-91年の間に最低賃金が上昇すると賃金の圧縮につながった,ということだ.これ以外の賃金圧縮を引き起こせる政策には,団体交渉を推進させる政策や,失業手当がある.失業手当はその性質により累進的だ(i.e. 低賃金の労働者であるほど高い置換率が与えられる.

 多くの経済学者は様々な理由でこうした政策に反対している.その理由は2つのグループに分けられる.第一に,多くの人は賃金圧縮によって人的資本への投資意欲が下がるのではないかと疑っている.そう考えるに至る推論は,すでに論じておいた.賃金圧縮はスキルへのリターンを減らすから,さらなる人的資本の蓄積に投資しようというインセンティブを減らすかもしれない.第二に,多くの経済学者の考えでは,賃金圧縮は低スキル労働者の雇用コストを上げることによって低スキル労働者の間での失業率を高めてしまうかもしれない.

 こうした懸念はいずれも重要であり,またある程度までは妥当でもある.しかし,その重要性は誇張されかねない.本レポートの前パートで論じておいたように,賃金圧縮が人的資本への投資を減少させる度合いは限定されている.第一に,教育の場合,教育へのリターンがより低くなることで進学意欲がそがれる(リターンがより高くなると進学意欲が高まる)という決定的な証拠はほとんどない.第二に,訓練の場合,賃金圧縮によって実際には企業によるさらなる投資が促される可能性がある.賃金圧縮によって訓練が増加するか減少するかに関する証拠は諸説入り混じっている.ただ,ほどほどの賃金圧縮が訓練への投資に大きな負の効果をもたらすという証拠がないのは確かだ.したがって,賃金圧縮が人的資本投資に及ぼす影響はやや限定されているかもしれないとここでは結論づけておく.

 賃金圧縮タイプの政策はより多くのいい仕事の創出を促すかもしれないという点も述べておくべきだろう.この議論はすでに Part 4 で述べておいたが,ここで繰り返しておくのも有益だろう.賃金圧縮政策には,企業がその被雇用者により多くの賃金を払わねばならなくなるという含意がある.より高い賃金を払うことになることをひとたび企業が認識すると,雇用者が労働者の生産性を高めることが意義をもつようになる.それ以前には(i.e. 賃金圧縮の前には),わるい仕事は低賃金で,生産性も低かった.とはいえ,その賃金の低さゆえに,そうした仕事も雇用主にとっては利益となるものだった.ところが,ひとたび雇用主がそうした生産性の低い仕事にすらより高い賃金を払わねばならなくなると,彼らはより生産性の高い仕事を選ぼうとするかもしれない.Acemoglu (2001) では,この論証はかなり一般的にあてはまることを示し,また,最低賃金と失業手当が上昇すると雇用の分布が低賃金の職業から高賃金の職業にシフトすることを示唆する実証的な証拠も提示しておいた.

 賃金圧縮が低賃金労働者の雇用見通しに及ぼす負の影響はどうだろうか? ここでも,経済学者の間での共通見解は変化してきている.たしかに,低賃金労働者を雇うコストを引き上げる最低賃金その他の政策は雇用にとって非常に有害だと考える経済学者はいまなお多いが,近年の証拠はこの見解を揺るがしている.Card and Krueger (1995) は,アメリカでは最低賃金の上昇がティーンエイジャーの労働者やその他の低賃金労働者の雇用見通しに負の効果をもたらさなかったことを示すさまざまな証拠を提示している.彼らが参照したのは,州をまたいだ証拠,時系列の証拠,州による政策の変化,1990-91年の連邦政府による最低賃金の強制だ.どのケースでも,彼らは最低賃金が雇用を減らしたという強力な証拠は見出さなかった.それどころか,彼らが示すところでは,そうした負の効果を示していた先行研究の多くは脆弱なもので,彼らの推計の大半では,最低賃金の外生的な上昇と雇用の増加の間には正の相関があるとされている.他の諸国についても同様の証拠を Machin and Manning (1996) などが提示している.こうした正の相関の解釈には伸張であるべきだ.というのも,この相関は不正確な推計や他の要因を反映したものである可能性が高いのだ(経済学者の中には,労働市場の買い手独占モデル (monopsony model) を使ってこの正の相関を正当化しようと試みた人たちもいるが,これは必ずしも説得的でないと私はみている).アメリカおよび他の OECD諸国から得た証拠は全体として最低賃金による雇用減退効果は限定されている可能性が高いことを示唆している.

 同様に,失業手当も労働者が仕事をみつける意欲を下げる見込みが高く,また,おそらくはより高い賃金を要求するよう促すことになるだろう.とはいえ,既存の証拠からは,失業手当による雇用減退の効果も限定されているのがうかがい知れる.たとえば,Meyer (1995) によれば失業手当が 10% 上昇すると失業期間がおよそ1週間長くなるという一方で,Ehrenberg and Oxaca (1978) と Atkinson and Mickerlright (1991) はそれより少し小さい反応だと推計している.これらは失業に及ぼされる比較的に小さな影響だ.

 国どうしの比較についてはどうだろうか? これが重要とされるのは,ある有名なテーゼ──しばしば Krugman (1994) に帰せられているもの──では,ヨーロッパにおける高失業率は賃金圧縮の結果だと説明されているためだ.本レポートの Part 3 でも論じたように,この理論によれば,過去30年にわたってスキル偏向型の技術変化がつづいている.このスキル偏向型の技術変化は,相対的に競争的なアメリカの市場で不平等を広げることにつながった.これに対して,ヨーロッパの労働市場制度は,かわりに賃金圧縮の量を増して賃金不平等の拡大を防いだ.この賃金圧縮が失業率の上昇につながった.もしこの結論が正しいなら,賃金圧縮政策はきわめてコストが高くつくことになる.

 ヨーロッパでは賃金がより圧縮されているという見解にはいくらかの長所がある.Blau and Kahn (1996) によれば,アメリカ経済と多くのヨーロッパの大陸諸国の経済における全体的な不平等 (overall inequality) の主要な相違は 90-50 の格差ではなく,50-10 の格差にある.このことから,最低賃金,強力な労組,そして気前のいい〔富の〕移転プログラムはヨーロッパにおいて相対的に賃金〔の分布〕が圧縮されていることに部分的に影響していることがうかがわれる.

 直観的には説得力があるものの,Krugman の仮説には2つの難点がある.第一に,スキルプレミアムを外生的に固定する極端に厳格な制度がないかぎり,外生的に強制される賃金圧縮の度合いに関係なくスキル偏向型の技術変化は賃金の不平等を拡大するはずだ.ところが,多くのヨーロッパの大陸諸国,とりわけドイツでは,賃金の不平等はごく安定していた(e.g. Freeman and Katz, 1995 を参照).

 第二に,Krugman の仮説は明確な予測を立てている:賃金圧縮が賃金不平等の拡大を妨げているかぎり,利益を最大化しようとする企業の意志決定により,スキルのない労働者の雇用はスキルのある〔熟練〕労働者に比べて大きく減少するはずだ,とされる.それどころか,スキル偏向型の技術変化はスキルのある労働者の失業率を下げるかもしれない.ところが,ヨーロッパでは,スキルのある労働者もない労働者もともに失業率が高くなっている (e.g. Nickell and Bell, 1996, Krueger and pischke, 1997).また,ヨーロッパ諸国の経済と比べてアメリカの方がより急速にスキルのない〔労働者の〕雇用が伸びたわけでもない (Card, Kramartz and Lemieux, 1996, Krueger and Pischke, 1997).

 ヨーロッパにおける労使間交渉の協約 (bargaining arrangement) は,たんに賃金圧縮につながったばかりでなく,Figure 1 に示したスキルの相対的な需要曲線からの逸脱にもつながった可能性がある.何故かと言えば,正確にどれほど労働者が業績をあげたかに関係なくすべての教育ある労働者に均一の賃金を支払うことをヨーロッパの制度が強制しているため,スキルのある労働者を雇用する利益も減ったかもしれないためだ.その一方で,労組がスキルのある労働者もない労働者もともに代表し,賃金圧縮にコミットしているなら,スキルのない労働者の雇用を大幅に減少させることになるのを望まないかもしれない.そうすると,労組は賃金水準については一定の譲歩をして,圧縮した賃金構造のもとで企業にスキルのない労働者をより多く雇用させようとするかもしれない.たしかに Figure 1 に示した相対的な需要曲線からのこうした逸脱はありうる事態ではある.しかし,ヨーロッパ諸国の経済でどれほど相対的需要曲線が逸脱しており,またこの状況下でヨーロッパ諸国がスキル偏向型の技術変化にどう対応するかを推計するための直接的な証拠はない.

 以上の議論から,人的資本への投資意欲を下げ雇用を減少させるという点での賃金圧縮政策のコストは誇張されていたかもしれないことが示唆される.したがって,穏当な賃金圧縮政策は不平等の縮小に有益なツールかもしれない.しかしながら,賃金圧縮政策のもたらす影響については不確実な点がまだ多くあり,注意を要す.賃金圧縮政策の影響に関する既存の証拠は諸説入り混じっているものの,賃金圧縮政策が長期で悪影響を及ぼすということも考えられなくもない.このことは,ごく穏当な賃金圧縮政策が用いられるべきだということを示唆する.

 ニュージーランドの場合,最低賃金はアメリカよりもいくぶん寛大なものとなっているようだ.このことは,最低賃金をさらに引き上げたりするなどの賃金圧縮政策は望ましくないかもしれないことを示唆する.そうだとすると,おそらく以上の議論から得られる含意は,さらなる賃金圧縮政策を促すものではなく,既存の賃金圧縮政策を廃止するよう設計された政策に強い警戒を引き起こすものとなろう.すでに賃金の分散〔格差〕が拡大している時期にこうした政策を廃止すれば不平等の拡大をさらに強め,増加した人的資本投資や雇用の観点でほとんど利益をもたらさないことになりかねない.

6.2 課税による再分配(Redistributive Taxation)編集

課税による再分配(redistributive taxation)は、所得不平等を縮小する上で魅力的な政策である。前節で議論したように、賃金構造を直接圧縮(compress)する政策は、低賃金労働者の雇用を減じるなど、いくらかの逆効果をもたらすことになる。課税による再分配では、そのようなコストを避けることができる。それだけではなく、課税システムがより再分配的であると仮定するならば、全体的な課税負担を増加させることなく、低賃金労働者の働くことによる限界収益を増加させることさえできるかも知れない。

 にもかかわらず、多くのエコノミストは、就労インセンティブを低下させる効果があるであろうことから、再分配政策には慎重である。その推測は、高い税率は、さらに努力しようという意欲に水を差したり労働時間を減らすだろうというものである。課税による再分配により、高い税が特に高所得の個人に課されるし、そのために、再分配政策が起業を減じるという可能性を、何人かのコメンテイターが指摘してきた。

 しかしながら、課税による再分配の効果についての経済理論による予測は、あいまいである。他の条件が同一であるとき、高い税率は、労働時間と努力水準を減じる。これは、経済学における、一般的な代替効果である。しかし、それに反対に作用する所得効果もある。高い税率は、個々人の可処分所得を減じ、そして彼らに対し、すべての正常財(正の所得弾力性を持つすべての財)について、より少ない量の消費を強制する。このことは、余暇は正常財であるため、高い税率によって形成される所得効果が、長い労働時間と一層の努力を促すことを意味する。よって、高所得者の就労インセンティブについて課税による再分配が引き起こすであろう結果は、実証的な題材となる。とても高い限界税率、例えば、70%または80%を超えるような限界税率は、明らかに深刻なディスインセンティブ効果をもたらすだろう。[しかし、]適度に高い限界税率が高所得者に引き起こすであろう結果は、明らかではない。

 税率の上昇が所得にどのような変化をもたらすかを推計したアメリカの文献は数多い。大きな効果を推計したものもあるが、大多数は、小さな反応を推計したものである。これらの文献の大部分は、Pencavel(1986)によってサーベイされている。彼は、税率の変化に対する労働時間の弾力性はゼロに近いと結論づけている。もっと最近では、1980年代における高所得者の課税前所得において、高所得階層に対する税率の削減による大きな効果を、何人かの研究者が推計している(Feldstein(1995)など)。しかしながら、これらの税率の削減は、すでに所得不平等が広がりつつあった期間において実施されたものであり、また、これらの推計では、中/高所得者間の所得のギャップを広げる他の要因をコントロールしていない。さらに、税率の削減は、課税対象となる所得を申告するインセンティブを変化させ、特に、労働所得を資本所得(または、企業所得)にシフトさせるインセンティブを変化させる。よって、高所得の個人について計測された所得は、これらの変化も反映するだろう。

 よって、アメリカの文脈においては、適度な課税による再分配は、大きくインセンティブを低下させるような効果は持っていなかったようであり、根底にある賃金不平等がとても大きいときには、課税前所得の不平等を減じる上で有効な方法であると、私は結論付ける。

 課税による再分配によるそのほかの逆効果は、Heckman, Lochner and Taber(1998)によって指摘されている。彼らは、課税による再分配は、学校教育による正味の収益を減じることによって、人的資本投資を妨げることになるかも知れないと論じた。平均的な人的資本投資が低いほど、スキルプレミアムと不平等を増加させるかも知れない。この論拠は理論的に正しいものだとしても、パート3とパート5の議論は、その実証的な重要性は限られていることを示唆する。第一に、スキル価格に対する平均的な人的資本投資における変化の影響は、小さなものでありそうだということ。第二に、個々人が、彼らの人的資本投資に関する決定において、学校教育による正味の収益に対し強く反応するような証拠は、ほとんどないことである。それゆえ、私は、適度な課税による再分配は、課税前所得の不平等を減じる上で有効な方法であると結論付けるのである。

 それにもかかわらず、アメリカの証拠をニュージーランドに適用することは困難である。ニュージーランド経済には、いくつかの他と区別される特徴があり、それらは、課税による再分配が経済活動にどのように影響するかということに、重要な関係がある。第一に、ニュージーランドにおける高所得の個人は、比較的簡単に、オーストラリアに移住してしまうかも知れない。それとは対照的に、アメリカから他の国へのそのような移住の機会は、限られている。高所得の個人の移住の可能性は、課税による再分配が意図したものとは逆の結果をもたらす危険を高める。第二に、ニュージーランドとアメリカでは、税の構造に重要な違いがある。特に、ニュージーランドでは、税はすでにより累進的であり、また、間接税の構造が異なっている。よって、課税による再分配を強化する前に、労働供給の税に対する弾力性や、高所得者の移住率について、注意深い評価を行う必要がある。

6.3 人的資本政策編集

では,狭く定義された人的資本政策,すなわち明確に人的資本投資を目標に据えた政策に目を転じることにしよう.私は以下の人的資本政策を論じる:


  1. 全ての個人に関して高等教育のコストを下げる高等教育への一般的助成.
  2. とくに低所得の個人にとって高等教育のコストを下げる収入調査に基づく高等教育への助成.これには必要性に基づく〔低所得層への〕奨学金も含まれる.
  3. 選択的な専攻分野 [(?)selective majors] に対する特定の授業料免除と援助
  4. 教育目的に使用されるローン [(?)credit] の利用拡大.
  5. 中等教育を対象とした政策.これにはとくに低所得層の家庭の中等教育を援助するものも含まれる.
  6. 学校選択を推進するバウチャー型プログラム.
  7. オンザジョブトレーニングを推進する政策.
  8. 労働力に加わっていない生活保護受給者などの個人がまず職を得られるよう促し人的資本を蓄積する筋道とする「ワークファースト」〔「まずは仕事を」〕政策.
  9. 不利な環境の家庭出身の児童についてその就学前の教育を推進する政策.


こうした政策を論じる前に,ここまでの議論で得られた大まかな結論を繰り返しておくと有益だろう.〔ある国・地域における〕経済の平均的な人的資本を向上させたとしても,それが不平等に大きな影響を与えることはありそうにない.少なくとも,近い将来に結果がでる可能性は低い.このことから,もっとも差し迫った人的資本政策は賃金分配の頂点と底辺にあるスキルの格差を縮めるものだという含意がでてくる.


6.3.1 高等教育助成の効果 (The effect of subsidies to higher education)編集

もっともよく行われる人的資本政策のひとつは,高等教育への直接の助成だ.OECD諸国経済の大半では,大学制度に助成を行っている.このタイプの政策をとる推論はわかりやすい.さきほど論じたように,学費が高いと大学に進学する意欲がそがれると予想される.したがって,学費の負担を減らす助成を行えば大学への進学が増えるはずだ.入手可能な証拠はこの推定を支持している.

 学費が大学進学に与える影響を明らかにしようと試みた文献は大量にある.McPherson and Schapiro (1991) と Leslie and Brinkman (1988) はさまざまな研究を検討し,大学に通うコストはたしかに問題となることを示している.そうした推計は,大学に通う純価格(学費マイナス助成)が $1000 下がっていると調査対象集団の大学進学は 5% 上がっているという相関がみられるという点で一致している.これはようするにほどほどの弾力性があるということで,こうした政策はまずまずの効果をもたらしうることがわかる.しかし,著者たちが検討した研究の多くは学費よりも援助の効果に注目している.もっとも単純なモデルでは,ものを言うのは大学に通う純価格のはずだが,一部の研究によれば援助と学費それぞれの効果は異なるかもしれないという.このため,学費のコストにのみ焦点をあてた研究を参照するのが有益となる.Kane (1995) による近年の研究は 1988年の National Educational Longitudinal Survey〔?「全米教育長期調査」〕を利用して,公立大学の学費が大学進学にどう影響するかを調べている.彼の発見によれば,学費が $1000 上がると進学率は約 5% 下がるという.おそらくもっと興味深いこととして,この効果は低所得層の家庭出身の若者の方が大きくなっている(中・高所得層の若者では 4.4% の効果であるのに比べて,低所得層では 7.2%).

では,高等教育への助成は不平等を縮小させるのに効率のいいツールなのだろうか? 答えは「ノー」だと私は思う.大学教育への一般的な助成には多くの問題点がある.

  1. もっとも重要なのは,そうした助成はとてもコストが高くつくということだ.というのも,これらは限界的なエージェント── i.e. 助成がなければ進学しなかったであろう学生たち──だけを助成しているのではなく,限界内のエージェント── i.e. 助成があってもなくても進学していたであろう学生たち──をも助成しているからだ.これは明らかに助成プログラムの運営コストをあげてしまう.たとえば,大学進学を 5% 上昇させるには,政府は大学に入学する全ての学生に実質的に $1000 を与えねばならない.さらに,限界内の学生はしばしば中・高収入の家庭出身なので,こうした助成はしばしば中・高収入家庭に便益を与えることになる.こうした助成がなされているときにすら大学に進学する学生の大多数は中・高収入の家庭出身となっているという点を考慮に入れると,この問題はいっそう悪化する.したがって,高等教育への直接の助成はその性質上かなり逆進的であり,社会の豊かな部類の学生であるほどより多くの利益を得ることとなってしまうのだ.
  2. こうした助成の第二の問題点は,その効果はかなり限定されているということだ.Part 3 で論じたように,平均的な人的資本のスキル価格が上昇することによる効果は小さい.したがって,いかなる人的資本政策であれ,効果的に不平等を縮小するには分布の頂点と底辺のスキルの格差を縮めねばならない.こうした助成は,本当にスキル分布の底辺にいる人々にとってごくわずかな助けにしかならない.助成がなされていようと,大学進学を検討している学生たちは比較的に高いスキルをもつ人々であり,けっして賃金分配の底辺 10% の人々ではないからだ.その反対に,こうした政策はすでに賃金分配の頂点にいる個人たちの教育を促進してさらに格差を開くことになるかもしれない.したがって,こうした政策は賃金分配の頂点と中間層の格差を縮小させるのには有効かもしれないものの,底辺と頂点の格差を狭めるのにはあまり有益でないだろう.

6.3.2 収入調査に基づく高等教育助成 (Means-tested subsidies to higher education)編集

子供を大学に通わせる全ての家庭を対象とする一般的な高等教育助成の代わりに,たとえば必要に基づく奨学金制度のような収入に基づく政策の方がずっと効果が高い.こうした助成が費用対効果に優れているのは,限界内の世帯に対してより少なく助成を与えるからだ.さらに,これらは所得分配のより下層にある家庭を対象とすることをもっと明確にしている.それどころか,こうした政策を強く累進的にする(収入による受給資格を厳しくする)ことでそういった目標を達成することも可能だ.たしかにこうした政策は前述の第二の問題(i.e. 高等教育を推進する政策は分布の底辺にいる個人たちの助けにならないという事実)に取り組むものではない.しかし,こうした政策は大学進学率を高める点では成功する可能性が高いのだ.

 こうした政策を支持するさらなる論証として,このタイプの支援は大学進学に影響すると示唆する証拠は,学費のコストの効果に関連したものよりももっと説得的だ,というものがある.これはなぜかと言えば,近年の研究の多くはアメリカにおける支援の自然変動を利用して説得的な推計を提示しているためだ.たとえば Angrist (1993) は退役軍人への教育給付が進学に及ぼした影響を分析している.Angrist はプログラムの給付額の時系列変化をデータに利用し,こうした教育給付は進学と卒業に大きな効果をもたらしていたことを発見した.Dynarski (1998) は社会保障学生給付金プログラム ([?]Social Security students benefit program) が 1982年に廃止された影響に着目している.このプログラムは死亡・障害・退職により社会保障を受けている者の子供だった多数の大学生に助成していた.Dynarski はかつて資格のあった学生と1度も資格のなかった学生それぞれの進学率の変化を比較することでこのプログラムの影響を調べた.また,彼女はこのタイプの支援が進学に大きく影響することも発見している(大まかに言うと,助成金を $1000 上げると大学進学は 4.2パーセントずつ上昇する).このタイプの支援の利点を最後にもう一つ挙げると,これは必ずしも単純な収入調査に基づくものでなくともよく,ごく狭く限定されたグループを対象にすることもできる.たとえば,特定の不利な立場に置かれた人口グループやマイノリティなどを対象とすることもできる.したがって,収入調査に基づく大学への助成は,それがなければ不利な立場におかれる若年者の所得を上昇させる政策として効果的なものだと考えられる.しかしながら,前のセクションで述べた理由により,この政策は分布の底辺にいる個人たちの所得を上げる見込みは薄い.よって,分布の頂点と底辺の格差を縮める政策によって補われる必要がある.


6.3.3 特に専攻分野を選別した学費免除と支援 (Specific tuition waivers or aid for selective majors)編集

これらが指しているのは,特定の専攻分野・職業を対象にしてより多くの補助金や支援を受けられるようにする政策だ.こうした政策を選ぶ際には,政府は将来どの分野が人材不足となるかよりよく判断できるという推論がなされているのだろう.たしかに,この見解を支持する論証もありうるが,落とし穴があまりに多すぎる.

 政府は最近の経験に着目することでどの専攻または分野に助成するかを決める可能性が高い.また,個人よりも情報に乏しいと見込まれる.さらに,教育内容をモニターせずに特定の専攻分野に助成するだけでは非効率になるおそれがある:個々人がそうした専攻分野を取りたがらない場合には,大学はそうした要望に対応せねばならなくなる.大学はそこで教える分野の名称を変えるだけで内容はそのままにしておくことだろう.したがって,こうした政策は厳しい規制を含むことになり,逆効果になる可能性が高い.


6.3.4 教育ローンを利用しやすくする (Increasing the availability of educational loans)編集

個々人が教育に十分投資しない理由が金融市場の問題にあるのなら,これに対処するのにもっとも効果的なツールは教育ローンを利用しやすくすることかもしれない.直接の助成と比べると,この政策には魅力的な点がある.すでに教育助成が多すぎるほどあったり金融市場の問題が深刻でないときにさらに助成すると資源の配分をゆがめてしまうおそれがある.これと対照的に,たんに教育ローンを利用しやすくするだけなら,大きな歪みを生じさせることはない.したがって,このタイプの政策は魅力的にうつる.しかし,ひとつの問題を覚えておく必要がある.政府は人的資本政策を使ってたんに教育への投資不足を正そうとするだけでなく,効率的な量を上回る教育を促進しようとするかもしれない.なぜなら政府は所得分配に関心をもっているからだ.この場合,収入調査に基づく支援や直接の助成に比べて教育ローンの魅力は薄いものとなるかもしれない.結論として,教育ローンは有益な政策であり,おそらく収入調査に基づく大学生への支援と組み合わせて使用されるべきだろう.


6.3.5 中高等学校に向けた政策編集

 人的資本政策にとって最大の課題は、分布のてっぺんと底とのギャップを縮めることだろう。大学進学を奨励する政策ではこれは実現できない。というのも分布の底辺にいる人々はこうしたプログラムを活用するとは考えにくいからだ。ここからいえるのは、中高校を直接補助する政策、特に恵まれない出身の子供が受ける中高校の品質を高めるようなものが、とても役にたつかもしれないということだ。こうした政策は、所得分布の最低四分の一にいる人々に役に立つだろうが、この時点でそれが、最低四分の一にいる全員を助ける見込みは薄いことは念頭においておくと有益だ。成績の低い子たちの認知技能を改善する政策をやっても、やはり成績の低い子は残りだろうから、所得の一番のてっぺんと、一番のどん底とのギャップ(たとえば90パーセンタイルと、最底辺の1、2パーセンタイルのギャップ)は縮めることはできないかもしれない。もし出身が貧困世帯で、学校の準備も不十分で、ドラッグなどの高リスク行動に手を出しがちで、学校をやめる傾向がある若者が多い場合には、これは特に重要な懸念となりかねない。中高校の品質を高めるような一般政策は、こんな特別なニーズを持った生徒にはたぶん役に立たない。そうした欠点はあれ、中高校の質を高める政策は全体としての分散を助け、それほど極端でない成績や所得のギャップ、たとえば90-10の所得差や75-25の差などは縮めることになるだろう。

 全OECD経済の政府は、すでに中高校にかなりの金額を投資している。さらに多くの経済学者は、これ以上学校リソースを増やしたところで、スクーリングや学校が生徒に与える人的資本の品質にはわずかな影響しかないと考えている。こうした見方を強力に打ち出しているのが Hanushek (1996)だ。 Hanushekは、学校に投資されるリソースは過去40年間でアメリカでは大幅に増えたが、学校の成果には目に見えたプラスの影響がなかったと論じている。それどころか、多くの面でアメリカの学校は今日のほうが悪くなっている。かれはまた、学級人数といった学校リソースと、生徒の成績との相関を見た多くの研究をサーベイしている。そしてこうした研究からは、学校の品質に意味があるという証拠が十分には得られないと論じる。Hanushekらがそのかわりに論じるのは、先生のインセンティブを改善することこそが必要なのだと論じている。この見方によれば、アメリカの学校のできが悪いのは、先生たちがちゃんとしたインセンティブを与えられずに、しっかり働くようモニタリングされていないからだ、ということになる。だったら、中高校にこれ以上リソースを投資しても、社会の人的資本改善にはならなそうだと結論すべきだろうか?

 Hanushek は、先生のインセンティブの重要性を強調した点では正しいのだろうが、かれのもう一つの結論は多くの面から批判されている。多くの研究では確かに学級人数からの有益な影響を見いだしてはいないが、これは多くの学校が学習障害などの問題を抱えた学生たちを小さな学級にまわしてしまうのを反映している可能性が高い。たとえばアメリカの特殊学級などがそうである。実は、もっと納得のいくような学級人数のちがいの原因を利用した研究は、そこに大きな影響があるという結果を出している。たとえば Card and Krueger (1992) は、学校の品質が上がるとアメリカの労働市場への成果がどう影響するかを見ている。その手法としては、あらゆる学生、または黒人学生の中で、州ごとの学校の品質の差を活用した。かれらは、学校の質が成績にかなりの影響を与えていることを発見した。 Angrist and Lavy (1999) はイスラエルからの影響を使って、学級人数の外生的なちがいは、生徒の成績に大きな影響を与えるという証拠を提供している。 Krueger (1999) はアメリカ出に実験的な調査からの証拠を提供しているが、学級人数は成績に大きな影響を与えている。全体としてみると、学級人数が大きくなると学習に悪影響が出るので、リソースの追加は、特にそれが貧しい地域に向けられたものなら有益のようだ。

 大人数学級や経験の浅い教師だけが、恵まれない出自の子どもたちの直面する問題ではないだろう。アメリカでありがちな問題は、中高校が所得によってきわめて分離しているということだ。こうした問題に対応しようとする政策はたくさんあるが、こうした分離はどうしても発生する。なぜこうした分離が不平等にとって悪いかという理由は以下の通り:中高校での学習は生徒たちがお互いから学び、お互いを真似さえするという意味でチーム活動となる。高所得世帯の子どもたちは両親からもっと支援を受けられるし、リソースも多いので有利な立場に立ちやすい。高所得の子供がみんな高所得者の通う学校に分離されていたら、かれらはお互いの優位性から利益を被るし、低所得児童は同じ力から利益を得られなくなる。多くのアメリカのインナーシティのように、低所得地域が魅力的なお手本(つまりもっと学歴をつけるようティーンエージャーを促すようなイメージを投影する大人や若者)がいない場合には、この問題はもっと深刻になる。低所得世帯出身の子供が、たとえば高所得世帯出身の子供たちと混じることで、高質な教育を受けられるようにする政策は、有益かもしれない。

 それでも、そうした政策はマイナスの影響も持つかもしれない。スクーリングについての分散的な決定を乱してしまい、遠くの学校にいかされる生徒は通学時間が増えてしまう等々。したがってそういう政策が望ましいかどうかは、実証的な問題となる。

 Guryan (2000) の最近のペーパーは、アメリカにおける黒人学校と白人学校の強制統合の影響を見ている。今日存在する、所得階層による分離の問題の多くは、1970年代には人種分離という形をとっていた。かれはこの種の人種統合は、黒人の若者の退学率にとてもよい影響をもたらしたと発見している。これに基づけば、そうした政策は有益な影響を持つようだ。とはいえ、そうした政策が引き起こしかねないかなりの混乱を考えると、かなり慎重になる必要はあるし、これを政策課題のトップに持ってきてはいけない。

 もう一つ重要な考慮事項は、高校における成績分布だ。最近の証拠を見ると、ニュージーランドを含むアングロサクソン諸国の多くの中高校生は、読むのと数学で深刻な問題を抱えているらしい(e.g. Elley, 1992)。こうした成績の悪い生徒たちは、やがて将来の低所得者となる。中高校に向けられた人的資本政策がこうした問題に対応できるかははっきりしない。というのもこうした問題はもっと根深い社会的な要因を持つかも知れないからだ。それでも、中高校の品質向上は、特に成績の最底辺にとっては、政策オプションとしてきわめて有望に思える。

6.3.6 バウチャー (Vouchers) 編集

 アメリカで現在俎上に載っている政策は、そのままだと公立校に行かなくてはならない子供が私学にいけるように、学校バウチャーを提供するというものだ。この政策の背景にあるのは、多くの公立校が低所得世帯に対してよい教育を提供していないと思われていることである。一部の人はもっと広く、公立学校はまったく競争に直面してないと論じ、バウチャーを導入することで公立学校の改善にもつながる(訳注:私学との競争に直面するので)と述べる。バウチャーなどの新しい学校制度の影響についての包括的な議論は、本報告の範囲を超える。ニュージーランド財務省の委託でまとめられた以前の報告である Nechyba (1998) は、こうした問題について詳細に論じている。

 ここでは、成績に対するバウチャーの影響についての証拠ははっきりしないと述べればことが足りる。最も慎重な研究の一つ、 Rouse (1998) は、バウチャーを利用する生徒にとっては、それが有益な影響を確かにもたらすが、その影響は比較的小さいと結論している。とはいえ、そうした政策は、公立校がそれほど問題に直面していない、アメリカ以外の国においてはあまり興味のないものだろう。さらにいまの議論は、バウチャーが機能するのは豊かな世帯からの学生たち内部でもっと区分が生じるようにするからであれば、それはバウチャーを使う生徒に利益をもたらすが、取り残された生徒たちはそれと同じくらい被害を被るということを示唆している(←訳注:ここんとこ意味がよくわからん。要再考)もっと重要な点としてバウチャーはかなり逆累進的になりかねず、高所得世帯に便益を与え、そしてやがては公立学校教育に対する政治的な支持を減らすことになりかねない。

 だが、ニュージーランドにとってバウチャーが有益かどうかはさておき、学校教育の選択肢が増えることは、それが所得階層のさらなる分離につながらない限りは有益であるという一般原則を念頭に置いておくと有用である。


6.3.7 オンザジョブトレーニングを推進する政策 (Policies encouraging on-the-job training) 編集

パート5における議論で示されたように、訓練への投資は過小であるらしい。このことは、訓練を促進する政策を潜在的に有効なものとする。このレポートで焦点をあてるべき重要なことは、訓練を促進する政策は、分布のトップと底辺の間のスキルギャップを減じるための、最も効果的な方法のひとつであるらしいということである。それはなぜなら、大学教育を促進する政策と対照的に、訓練を促進する政策は、スキルと収入の分布において、より低い“テイル”にある労働者を救うことができる。高卒資格のない労働者や、高校だけは卒業した労働者は、機械工や大工など、ある特定の職業や、自動車製造や銀行など、所与の産業におけるスキルを獲得することで利益を得る。そのようなスキルによって、彼らの生産性や収益力を大きく高めることができ、スキルと収入の社会の中でのギャップを縮めることができる。

 そうした政策が不平等を縮小するために有効であることは、ドイツの例によって説明される。アメリカやイギリスとは対照的に、ドイツには幅広い実習生制度(apprenticeship system)がある。 大学を継続しない大部分の若者は、いっせいに、彼らに訓練を提供する会社で働く。そのような実習生プログラムは、典型的には3年間継続され、そして、教室での学習と工場の現場における訓練の双方を含んでいる。多くのコメンテイターは、高卒以下のドイツの労働者で、そのような実習生プログラムのもとにいる者は、それと比較されるアメリカの労働者よりもより多くのスキルを有していることを論じている(例えば、Steedman(1993)、Franz and Soskice(1995)をみよ)。実際、1980年代のアメリカにおいて、高卒以下の労働者の実質賃金が大きく低下した間、ドイツにおいてそれと比較される労働者の実質賃金は増加した。このことについてのもっともらしい説明は、スキルに対する需要を増加させた1980年代における技術変化(technological change)が、比較的低スキルのアメリカの高校卒業者に損害を与えた一方で、実習生プログラムによってかなりのスキルを獲得したドイツの高校卒業者は損害を与えなかった、というものである。

 ドイツの実習生プログラムは、使用者自身によって支出されたものであるが、政府は重要な役割を行っている。例えば、政府は教室での学習を監督し、実習を受講している労働者のスキルを認定する。建設業では、高い異動率が、会社の支出による訓練を実行不可能なものにするが、政府もまた訓練に対し補助金を与えている。

 これらの議論は、訓練を促進する政策は、不平等を縮小する上で有益で、かつ、効果的であろうことを示唆する。しかし、どのタイプの政策か?そこには、政府が訓練を促すために実行することができる、大きく3つのタイプの政策がある:労働者に訓練を提供する会社に対する補助金や課税控除(tax credits)、政府機関による訓練の直接的な提供、そして、会社が提供する訓練プログラムの監督である。

 もっとも一般的な救済手段は、補助金である。訓練における過小投資がある限り、訓練を行う会社への補助金やオンザジョブトレーニングに対する課税控除は有益であろう。たとえ、訓練における過小投資がなかったとしても、そのような補助金は、社会におけるスキルの分布の最低層の“テイル”にあたる労働者の人的資本を増加させ、不平等を縮小することに役立つ。

 しかしながら、一つの潜在的な問題は、職場での訓練を監視することが困難であるとき、補助金は相対的に非効率であろうということである。例えば、もし、会社が提供する訓練の質または量が契約不可能(non-contractible)であれば、補助金の有無にかかわらず、会社は同じ量の訓練を選択し、補助金は単に、会社にとっての棚ぼたの収入となってしまう。

 補助金の代わりとなる手段の一つは、政府による訓練の直接的な提供である。しかしながら、政府の訓練プログラムは、訓練と生産との間の相互補完性を引き出すことに失敗し、そのカリキュラムは、ビジネスと訓練生のニーズに対して後れをとることになるだろう。アメリカにおける補助金と政府の運営する訓練プログラムの経験はむしろ雑多であり、多くの費用を要する政府のプログラムだけが成功していることを示唆している(Lalonde(1995)などをみよ)。

 これは、[政府による]監督によって、補助金を補完することが必要なことを示唆している。ドイツの実習生制度の場合など、ほとんどの[政府による]監督は、訓練プログラムの質を監視し、スキルを認定している。監督の一つの効果は、会社と労働者が訓練の量を契約する(to contract)ことを容易にすることで、訓練が非協力的に決定される際に生じる外部性を除外することを可能にすることである(Acemoglu and Pischke(1998)などをみよ)。このため、監督は、労働者に対して、彼らが受ける訓練の量に貢献することを可能にし、よって、労働者が訓練にいくらか金銭を支払う余裕がある場合には、もっとも有効なものとなる。同じ論拠によって、監督は、補助金の活用についても、企業が受け取る補助金によって実際に訓練が提供されているかを政府が監視することで、補完するであろう。しかし、監督は非生産的なものであることも心に留めておかなければならない。例えば、使用者はそれらの労働者を保持できただろうことから、最初の使用者に訓練の提供を促す訓練プログラムで獲得されたスキルの価値が、他の会社では不確かであった場合には、例えば、Kats and Ziderman(1990)のモデルのように、スキルの認定は、会社の資金による訓練を減じることになるだろう。 実際には、特に、ドイツ政府機関が実習生プログラムによって獲得したスキルを認定しているという事実に鑑みて、そのような非生産的な効果はありそうにない。

 オンザジョブトレーニングを推進する政策を考えるにあたって、二つの追加的な検討が重要である。第一に、それらの政策は、特定の産業や職業におけるスキルの不足に対処する上で、非常に効果的である。もし、ニュージーランドにおいて、エンジニアや資格を持った職人の不足が重要な制約となっているのであれば、訓練政策は、産出の拡大と不平等の縮小の双方にとって有効である。第二に、人的資本投資のタイミングについての重要な問題がある。中等教育に対する直接的な政策は、労働者の生活のはやい段階(彼/彼女が十代のとき)で、より多くの人的資本を促す。訓練政策は、一方において、労働者の人的資本をおそい段階で増加させる。他の条件が一定であれば、はやい段階での政策が望ましいだろう、しかし、訓練政策には重要な強みがある。例えば、労働者と会社が正確な競争上の強みと労働者の興味、あるいは、どの領域のさらなる投資が大きな利益をもたらすか、についてわかった後に、そうした投資をはじめることができる。これらのトピックに関する証拠はほとんどないが、常識的には、はやい段階とおそい段階の投資の組み合わせが、労働者が生涯のスキルをつくりあげる上で最適であろうことを示唆する。

 全般的には、訓練を促進する政策は、不平等を縮小する上で極めて効果的なようである。これらが有効であるのは、訓練における過小投資がありそうなためでもある。そのような政策の中で、政府による訓練の直接的な提供は、もっとも魅力が乏しい。このトピックについての実証研究は少ないが、理論的な検討によって、政策のベスト・ミックスは、政府による訓練に対する補助金または課税控除と、訓練プログラムの質を確かなものにする監督の組み合わせであるように示唆される。

6.3.8 まずは働け政策 (Work-first policies)編集

 一部の労働者にとっての深刻な問題は、単に労働所得が低いということではなく、そもそも仕事がないということだ。ヨーロッパでは失業はとても高いし、失業者の人口特性や教育水準も様々だ。一方、アメリカでは仕事を見つけるのに苦労している人々は、売り物になる技能がほとんどない人々に集中している。この集団は、障害者や福祉受給者(教育水準の低いシングルマザー、特にマイノリティ)などを含む。ニュージーランドでも、マオリ族を先祖に持つ教育水準の低い人々が、似たような問題を抱えているようだ。

 こうした集団の中で、稼ぎがきわめて低いかゼロの人々に対処する最も有効な方法は、まずは就職させるようにすることだと論じられてきた。こうした労働者は、あまり払いのいい仕事にはつけないので、ファストフードや小売りといった業界の低賃金職で雇用されるしかない。さっき述べた、悪い仕事の落とし穴についての議論を踏まえれば、そうした低賃金職はこうした労働者にとっては行き止まりの袋小路になるのではないかという懸念もあり得る。

だがこの結論には条件をつける必要がある。さっきのよい仕事と悪い仕事に関する議論は、労働市場残留率の高い労働者(つまり労働市場から脱落しない労働者)についてのものだ。こうした労働者は仕事が見つからなくてもすぐにあきらめたりはしないし、かれら向けの高賃金職が何かあれば、いずれはそれを見つけるだろうし、そうした仕事が提供する高賃金と高い人的資本蓄積機会にあずかることができる。

 障害者や福祉受給者といったマージナルな集団の問題は、これとはちがっている。かれらはすぐにあきらめて、労働市場から脱落しかねない。これはそうした集団に、低賃金ではあっても職を提供するような政策を支持する理由となる。この処方箋を支持するもう一つの考慮事項は、中年労働者の人的資本でかなりの部分を占める構成要素が、その労働市場経験だと言うことだ。言い換えると、長く職についていた労働者は、かなり高い賃金を得ている。理論的には、これは単に年齢効果の反映かもしれない。つまり、高齢の労働者のほうが生産的だという事実があらわれているだけかもしれない。だが Angrist (1991) のおもしろいペーパーを見ると、これは単に年齢ではなく、労働市場での経験からくる生産性向上を反映している可能性のほうが高い。Angrist は、軍に所属した年数が様々な人々を、それぞれの年齢層で比較してみた。そして、軍に長くいた人々は、まさにその分で得られたはずの経験年数の分だけ(賃金を)失っているということを発見している。この証拠を見ると、労働市場経験からはかなりの利得が得られていると示唆される。

 これを考えると、労働市場残留率の低い集団が就職するよう奨励するのは、有益な政策のようだ。かれらの直接的な稼ぎも増えるし、おそらく将来の稼ぎにも貢献する見込みが高い。だが補助や追加の訓練なしにかれらが就ける仕事はかなりの低賃金だろうから、その雇用に補助金を出す政策はかなり補償的になる可能性が高い。たとえば、アメリカで低所得労働者の稼ぎを補填する従業所得税クレジット制度は、就職の奨励と不平等の削減の両方に有益だろう。

6.3.9 就学前教育に向けた政策 (Policies directed at pre-school education)編集

児童の貧困、もっと一般的には就学前の児童期の体験が、児童の発達やその教育に影響を与え、その結果としてその後の労働市場での結果にも影響を与えるという証拠が存在する (e.g. Duncan et al, 1998)。特に移民世帯の場合、就学前の児童体験はかなり重要かもしれない。その理由のもう一つとして、労働市場における言語能力の重要性がある( (Bleakley and Chin, 2000 を参照)。これは、就学前教育を対象とした政策が有効かも知れないということを示唆する。とはいえ、世帯のリソースが学生の成績に与える影響についての文献サーベイで、Nechyba et al. (1999) は世帯リソースが、後の児童期や思春期に与える影響がごく限られているようだと結論づけている。だがかれらが指摘している点として、そうしたリソースの影響は、世帯収入がある閾値以下のときにはずっと大きいかも知れない。ここから示唆されるのは、極貧世帯に向けた就学前政策の一部は有用かもしれないけえど、でも就学前政策をあれこれ広範に用意する必要はないということである。

 就学前を対象とする政策のもう一つの問題は、その世帯がどのように子育てをしたいかという方針をあまり邪魔しないように行う必要がある、ということだ。理想的な妥協案は、ある所得の閾値以下の世帯に対して、大幅な補助つき、あるいは完全に無料の保育所である。そうした政策は、またさっき議論した“まず働け“政策を補うものともなる。というのも、多くの女性が労働市場に参入できない大きな障壁は、児童ケアの費用だからだ。

 ここでもまた、人的資本投資のタイミングが重要になる。ここで対比されるのは、就学年齢に達する前のかなり初期の投資と、中学校期間の投資である。ここでも、各種の機関における投資の組み合わせが最適なのだろう。さらに、かなり初期の段階で投資がないと、後の段階での投資が高くつくことになりそうだ (Nechyba, et al. 2000)。この配慮は、就学以前の教育に向けられた政策の重要性を再度指摘するものである。

6.4 結論 (Concluding Comments) 編集

 本報告のこの部分は、不平等を減らすのに役立ちそうな各種の政策について論じた。そうした政策が効率性に対して持つ意味合いと、所得分配への影響の両方に注目を試みている。全体として得られた結論は以下のようにまとめられる:


  1. 多くの経済学者は、賃金圧縮政策がもたらすインセンティブ低下や雇用減少の影響を恐れているが、そうした影響は過大に考えられすぎてきたかもしれない。これはつまり、賃金圧縮政策は、かなり慎重に行えば、不平等を減らすのに役立つツールになり得るということを示唆している。ニュージーランドの最低賃金は、今でも比較的高い水準にあるので、これ以上それを引き上げる必要はないだろう。この場合、ここでの分析が示唆するのは、賃金圧縮を奨励するような既存の政策、たとえば最低賃金などを廃止してはいけないということである。
  2. 同様に、再分配的な課税によるインセンティブ低下の影響も誇張されてきたかもしれない。再分配的な課税は、ここでもかなり慎重に行われる限り、税引き後所得の不平等を減らすために有効な政策になり得る。高い税金に対する反応として高額所得者がオーストラリアに移住してしまうという可能性があるため、ニュージーランドにおいては再分配的な課税が歪曲を高めてしまい、あまり有用でなくなるかもしれない。これはつまり、ニュージーランドからの海外移住と税率との弾力性について慎重な研究が必要だということを示唆している。
  3. 所得不平等を減らすためのツールとして政府が持つ武器のうち、最も有効なものは人的資本政策だろう。人的資本に対しては投資が過小であり、ある程度の補助金が必要ではないかと思える理由はいろいろある。政府はすでに、教育の三レベルすべてに補助金を出している。それ以上の直接補助が不要かどうかは、はっきりしない。
  4. 多くの経済学者や評論家は、大学教育への直接補助をもっと増やそうと言うが、こうした政策は政策立案者にとっては最高の選択肢ではないかもしれない。こうした政策は、ほとんどが中高所得世帯に便益をもたらすものなので、逆累進的になりがちだからである。資金市場の問題の軽減が懸念事項であれば、教育ローンのほうが政策ツールとしては優れているかもしれない。その一方で、低所得世帯による大学進学を増やすのに一番いい政策は、必要に応じた (need-based) 補助金や収入調査に基づく (means-tested)奨学金だろう。こうした政策は、低所得世帯の大学教育を奨励するにあたり、もっと安上がりで有効性の高いものになるだろう。
  5. だが、大学教育を奨励しても、所得分布のてっぺんと底とのギャップがせばまる可能性は低い。これを実現するには、低所得世帯にもっと質の高い中高校教育を奨励し、(職業)訓練を奨励する政策が必要である。
  6. “まず働け“政策、つまりそうしなければ労働市場に参入できないような個人が雇用を得られるようにするような政策や、低所得世帯の児童に対する就学前の人的資本蓄積を支援するような政策も、単独ではあまり効果はないだろうが、有効だろう。

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