Fandom

Acemoglu公式翻訳プロジェクト

『人的資本政策と所得分配』:Part4

22このwikiの
ページ数
新しいページをつくる
トーク1 シェアする

Part 4: 不平等のその他の重要な決定要素編集


本レポートの前パートでは,賃金分配について考えるために競争的な労働市場にもとづく標準的なフレームワークの概要を示した.現実の労働市場には,多くの非競争的な要素が多くある.不完全情報やレント・シェアリングといった要素だ.こういった要素の存在により,賃金の決定方法がしばしば影響されており,それにともなってスキルの相対的な供給・スキルの格差・テクノロジーが賃金分配を決定する方法もこれに影響を受ける.本レポートのこのパートでは,3つの重要な要件を論じる:

  1. 不完全情報のため,教育はシグナルとしてはたらくことがある.ここでは,教育のシグナリング機能とならんで,受けた教育水準の選別により賃金分配がいかに影響されるかを論じる.
  2. 組合はしばしば労働者の側に立って交渉する.組合離れやその他の要因によって組合の交渉力が低下したことにより,賃金が低下し,異なるタイプの労働者の間での賃金の分配のされ方が影響を受けた可能性がある.
  3. 職業の構成,とりわけ高品質 vs. 低品質(いい職業 vs. わるい職業)の割合が変化し,これによって所得分布が大きく影響されたという認識が強まっている.


このパートでは,こういった話題に関連する先行研究を検討する.結論としては,こうした要因はたしかに重要ではあるものの,前パートでえられた基本的結論を変えることはなく,したがってそこで力説しておいたものと同様の政策が必要だということは揺らがない.


4.1 シグナルと選別としての教育 (Education As a Signal and Selection)編集

 上記のフレームワークは Becker (1964) の人的資本論の伝統に深く根ざしている.そのため,人的資本と生産性における教育の役割が強調されている.これにはよく知られた対案があり,そちらでは教育がシグナルとして作用する点を強調する(Spence, 1974を参照).たとえば,経営学修士 (MBA) の学位は実際に人的資本に寄与するものであると同時に,能力と意欲のシグナルともなっている.

 この基本的な考え方を例示するには,こう仮定してみるといい.教育には生産性を向上させる役割が全くなくて,ただ労働者たちはその基底の能力が異なっており,能力により生産性が向上するとしよう.さらに,教育には2つの水準,高いもの(e.g. 大学)と低いもの(e.g. 高校)があると仮定する.あらゆるシグナルのモデルにとって決定的な仮定は,教育をえるコストは能力が高い労働者ほど低くなるというものだ.この仮定の動機となっているのは,能力が高い労働者はたんに職業において生産性が高いだけでなく,学習においても能率に優れており,しかも教育に必要な要件を満たしているという議論だ.

 この仮定上の世界では,比較的に能力の高い労働者は,みずからの能力が高いことをシグナルするために教育を受ける.もしこうしたシグナルが信頼できるものであるなら,雇用主はこうした労働者のその能力の高さゆえにより生産的だろうと予測して,教育ある労働者により高い賃金を支払う.当然,能力の低い労働者はこのふるまいを模倣しようとするが,教育をえるコストがより高いものとなってしまうため,そこから利益を得ることができない.

 さて,たとえば教育コストが低下したために教育が増大したのを想像してほしい.すると,それまで教育を受けていなかった労働者のなかでいま教育を受けるのを選択するのは自ずとより高い能力をもつ労働者となる.その結果,教育のない者の平均的な能力は低下する.この推論からは,ある含意がでてくる.高等教育を受けた人たちが全体に占める割合が世代(コゥホート)を経てしだいに増えていくのにともなって,教育のない人たちは非常に能力が低いのだと雇用主たちに受け取られるようになるのだ.すると,今度はこれによってそういった〔教育のない〕労働者に支払ってもいいと彼らが思う賃金は下がっていき,不平等の拡大を進めることになる.

 これに関連した筋書きでは,シグナルではなく「選別」効果を強調する.シグナルの筋書きでは,労働者と会社の間に不完全情報がある:労働者はじぶんの能力を知っていて,一方の会社は労働者の教育に関する意志決定からその能力を推測しようとする.選別の筋書きでは,ここまでに能力と呼んできたようなスキルは雇用主によって観察されるけれども,通常の調査では我々によって観察されない.よって,不完全情報は経済におけるエージェント間にあるのではなく,エージェントと我々アナリストの間にあることになる.すると,教育を受けた人たちが教育を受けていない人たちよりも高い能力をもっているかぎり,同様の効果が生じる.教育を受けていない人たちの平均能力は教育を受けた人たちよりも低くなり,さらに重要なこととして,平均的な教育水準が高くなるのにともなって高等教育を受けていない労働者の平均能力は下がっていく.この世界では雇用主は能力を観察してそれに応じて支払うので,彼らの賃金も低下していく.以下で,このメカニズムが正確にどう機能するのか詳細に説明しよう.

 シグナル効果と選別効果による不平等拡大への寄与は限定されていると思われる理由はいくつもある.

 第一に,定性的な証拠の示唆によると,シグナル効果と選別効果はそれ自体では大半の国々で近年起きた不平等の変化を説明できないと思われる:こうした効果そのものは,教育ある労働者の間での不平等と、教育のない労働者のあいだでの不平等とは、互いに反対方向に進むだろうと示唆するのだ(たとえば,教育が増加すると,より多くの限界的な労働者がより教育のある集団に加わり,より教育の乏しい集団に残される限界的労働者は減る).しかし,アメリカ合衆国において,大卒と高卒のあいだで全体と残余の不平等 (overall and residual inequality) は拡大した.このことは,スキルに対する実際の見返りの変化が不平等の拡大になんらかの役割を果たしていることを示唆する.

 第二に,理論的に,シグナル効果と選別効果が実際に教育水準の高い労働者と低い労働者の賃金格差の拡大に寄与するのかどうかがはっきりしていない.この問題を論じるために──そして,シグナルと選別のメカニズムが正確に言っていかにして不平等を拡大させるとされるのかを明確にするためにも──ここで2つの教育水準すなわち高水準 h=1 と低水準 h=0 を含む単純なモデルの概略を描いておこう.賃金は下記により与えられるとしよう:


ln w_{it} = a_i + \gamma_{t} h_{i}


ここで h_i は高等教育のダミー変数,a_i は観察されない能力を表す.(log) 教育プレミアム──すなわち教育水準の高い労働者と低い労働者の平均賃金の差──を,こう定義しよう:


ln w_t \equiv E(ln w_{it} | h_i = 1) - E (ln w_{it} | h_i = 0)
 = \gamma_t + A_{1t}   -   A_{0t}


ここで A_{1t} \equiv E (a_i | h_i = 1) A_{0t} は同じように定義される.教育プレミアムの増加を引き起こすのは \gamma_t の増加(スキルへの実際の見返りの増加)であることもあれば,A_{1t} - A_{0t} の増加であることもある.A_{1t} - A_{0t} の増加の理由は基本的に2つある:(1) 世代(コゥホート)の質の変化,あるいは (2) 教育の選別/シグナルのパターンの変化の2つだ.

 まずは世代(コゥホート)の質の変化から考えよう.高校のシステムが悪化した場合, A_{0t} は低下する一方でそれによって A_{1t} が低下することはないと予測できる.その結果として, A_{1t} - A_{0t} は増加するかもしれない.

 他方で,そしてこちらの方が本レポートの焦点にとって重要なのだが,高等教育を受けた人々が人口に占める割合が増えるのにともなって,教育への選別(i.e. 教育を受ける者の能力)が変化するのは自然なことだ.それどころか,教育を受けないままとなった人々が観察されざる非常に低い能力をもつこととなる可能性もある.これは翻訳すると A_{0t} の水準が低いということであり,したがって A_{1t} - A_{0t} は増大することとなる.これこそ,シグナルと選択両方の筋書きの本質だ──ある世代(コゥホート)(または労働市場)の平均的教育が向上するのにともない教育を受ける労働者は,教育を受けていない労働者に対して相対的に高い能力をもつ人たちとなる一方で,すでに教育を受けていた人たちよりは能力で劣る人たちでもある.その結果,教育の高い集団と低い集団のいずれも平均的な能力は低下する.教育の低い集団の方が平均的能力の低下幅が大きければ,シグナルと選別それぞれのメカニズムは不平等を拡大するようにはたらく.

 とはいえ,教育の高い労働者と低い労働者の賃金格差に選別/シグナリングがおよぼす理論上の効果はあいまいだ.これらの相互作用は教育を受けていない人々の平均能力 A_{0t} を押し下げるばかりでなく,A_{1t} も押し下げる.このため,これを差し引きした効果はあいまいなのだ.この点をもっとはっきり理解するため,完全な振り分けがなされるという仮定をおこう ──すなわち,能力 a をもつ個人が教育を受けるとき,a’ > a の能力をもつすべての個人もそうする,という仮定だ.この場合,閾となる水準の能力 ā が存在し,構文解析失敗 (字句解析エラー): a > ā\bar{a}

の能力をもつ者だけが教育を受ける.次に,Figure 4 に示したような b_0b_0 + b_1 間での a_i の均等な分布を考えよう〔b_0 は原点から長方形の左端までの隔たり,b_1 は長方形の横幅;だから,b_0 + b_1 は原点から長方形の右端までの隔たりにあたる〕.このとき,Figure 4 において,A_0A_1\bar{a} に位置する太線で作られる長方形の中央の点により与えられる.もっと詰めて言うなら,


A_0 = \frac{1}{\bar{a}_0 - b_0} \int _{b_0} ^{\bar{a}}ada = \frac{\bar{a} + b_0}{2}


および


A_1 = \frac{1}{b_1 - b_0 - \bar{a}} \int _{\bar{a}} ^{b_0 + b_1}ada = \frac{b_0 + b_1 + \bar{a}}{2}


となる.よって,\bar{a}\bar{a}' に低下する〔左にシフトする〕ときには,A_0A_1 もともに下降する(実線から波線にシフトする).さらに,A_1 - A_0 = b_{1}/2 だから,これは \bar{a} が低下しても変化しない〔平均的な能力の差は変わらない〕.直観的に言うと,a_i が均等に分布しているので,\bar{a} が向上したときには A_0A_1 の両方がまったく同じ分だけ下がることになる.よって,シグナリング効果/選別効果は教育プレミアムになんら影響しない.能力が〔均等にではなく〕他の分布の仕方になっていれば,この極端な結果は成り立たないのは明らかだ.しかし,それでもなお,A_0A_1 がともに下落するというのは正しいままであり,また,この効果が教育プレミアムを増大させるか縮小させるかははっきりしない.したがって,全体として選別の変化が教育プレミアムに及ぼす効果は経験的な問題となる.


Acemoglu HC-and-ID figure4.png

Figure 4


 経験的には,シグナリング効果と選別効果はこれまで限られていたことが証拠からうかがわれる.この結論を動機づける証拠には2つのタイプがある. 第一に,選別効果(そしてシグナリング効果)の重要性は,世代(コゥホート)による不平等の変化をみることで明らかになる(Blackburn, Bloom and Freeman, 1992; John, Murphy and Pierce, 1993 を参照).これを理解するには方程式 (8) をこう書き換えるといい:


ln w_{ict} = a_{ic} + \gamma_{t}h_{ic} + \epsilon_{cit}


ここで c はひとつの世代を表す── i.e. 同じ年に生まれた個人の集団だ.方程式 (9) を書く際に,私は重要な仮定をひとつおいている:スキルへの見返り(リターン)はすべての世代と年齢で同じだと仮定されているのだ; \gamma_t ──だが,明らかにこれらは時点によって異なっている.すると,それぞれの世代に特有の教育プレミアムをこう定義できる:


構文解析失敗 (字句解析エラー): ln w_{ct} \equiv E(ln w_{ict} | h_i = 1) – E(ln w_{ict} | h_i = 0) = \gamma_t + A_{1ct} - A_{0ct}


この式で,A_{1ct} \equiv E(a_{ic} | h_i = 1)A_{0ct} は同様に定義される.どの世代でも調査期間を超えてさらに進学することはないと仮定すると下記がえられる:


ln w_{ct} 
= \gamma_t + A_{1c}    -    A_{0c} … (10)


ここからは次の含意がでてくる:


\Delta ln w_{c,t' - t} \equiv ln w_{ct'} - ln w_{ct} = \gamma_{t'} - \gamma_t … (11)


i.e. ある世代における教育へのリターンの変化によって,スキルへのリターンの変化が明らかとなる.この議論を敷衍して,観察されないスキルを h が表す場合に当てはめることもできる.違うのは,今度は賃金分布におけるある固定されたパーセンタイルの差(e.g., 90-10 の差)をみなくてはならなくなるという点だけだ.より詳細な議論は John, Murphy and Pierce (1993) を参照.


 しかしながら,スキルへのリターンはある個人の生涯にわたって一定だという仮定はたしかにあまりに厳しすぎるものではある.たとえば Murphy and Welch (1992) はアメリカの労働市場において教育によって賃金曲線 (age-earning profile) がかなり異なっているのを示している.とはいえ,同様の議論はこの場合にもあてはまる.たとえば,スキルへのリターンは年齢 s に左右されると仮定してみよう.すると,方程式 (10) は t年における年齢 s の世代 c についてこう書くことができる:


構文解析失敗 (字句解析エラー): ln w_{cst} = \gamma_{st} + A_{1c} – A_{0c}


さらに,\gamma_{st} = \gamma_s + \gamma_t としてみよう.するとこうなる:


\Delta ln w_{c,t' - t} = \gamma_{s'} - \gamma_t - \gamma_{t'} - \gamma_t


ここでは明らかに s' - s = t' - t となっている.さて,これと別の世代 c'' をみるとしよう.この世代は t 年において年齢 s' であり,t''年では年齢 s となる.すると下記がえられる:


\Delta ln w_{c'',t-t''} = \gamma_{s'} - \gamma_s + \gamma_t - \gamma_{t''}


したがって,二重差 (double difference) の


\Delta ln w \equiv \Delta ln w_{c,t'-t} - \Delta ln w_{c'',t-t''} = \gamma_{t'} - \gamma_{t''}


から,時点 t''t' の間におけるスキルへのリターンの真の変化が明らかになる.【脚注6】


 アメリカの人口統計の 1950, 1960, 1970, 1980, 1990年のデータを用いた Table 2 は,26~55歳の白人男性について,世代内の不平等の一重差 (single difference) と二重差を示している.一重差は,大半の世代において,大卒へのリターンが 1970 と 1980 を例外として〔他の年では〕増加しているのを示している.したがって,こういった増加は年齢ごとに異なる教育の効果を反映している見込みが高い.これに対して,Panel C に示してある1950-70の期間の数字は増加を示しておらず,二重差は選別効果を統制するいい仕事をしているのをうかがわせる.1960-80の期間の数字はマイナスになっている.このことは,1960から1980年の間に大卒プレミアムが減少しているのを反映している見込みが高い.一番下の列は,この表のいちばん重要な結果を示している.1970-90の二重差は大きな正の数字になっている.これは,教育への真のリターンがアメリカにおいてこの期間に増加したことを示唆している.興味深いことに,1980年代をとおして若年労働者ほど大卒プレミアムの増加は素早いものとなっていたという周知の証拠がある一方で,Table 2 の結果は,1970年から1990年の間におきたスキルへの真のリターンの増加は 1936年から1955年の間に生まれた世代で類似したものとなっている.したがって,こうした結果は,1980年代から1990年代のアメリカで起きた大卒プレミアムの増加の主要な要因はスキルの価格の変化であって選別効果/シグナリング効果ではないのだということを示している.

 Table 3 は John, Murphy and Pierce (1993) の Table 3 を引用したもので,これは全体および残余の不平等は合成の効果によっても説明できないことを示している.たとえば Panel A は,1935年から1964年にかけて順に市場に登場した世代(コゥホート)別の 90-10 の格差 (90-10 differential) は1964-1970年にわたって近似的に一定だったものの,1970-1976年の間でどの世代でも急に上昇し,つづく 1982-1988年でもさらに上昇しているのを示している.Panel B は 対数賃金の residual について同様の見取り図を示している.こうした結果からは,過去30年間で賃金の構造に生じた変化は選別効果やシグナリング効果では説明できず,これらの効果は限定されている見込みが高いことがうかがわれる.

 シグナリング効果は限定されているという第二の証拠は,Acemoglu and Angrist (2000) で報告されている結果からえられる.義務教育関連法 (compulsory schooling laws) の変化に促されて,1920年から1960年の間にアメリカの諸州における学校教育の平均が増加している.彼らは,この変化が賃金に及ぼした影響を推定している.シグナリングがある場合には,時系列横断的な賃金の回帰分析 (cross sectional wage regression) により含意される値を下回る率(i.e. 6-8%以下.たとえば Card, 1999 を参照)でしか、平均賃金は上昇しないはずだ.有意な人的資本の外部性が存在している場合には,平均賃金はそれ以上に上昇するはずである.Acemoglu and Angrist (2000) の発見によれば,時系列横断的な賃金の回帰分析により含意されるのと同様の分だけ上昇している.言い換えるなら,正・負いずれについても人的資本の外部性〔の影響〕を示す証拠は見つかっていないということだ.したがって,この証拠はシグナリングが賃金に及ぼす効果も限定されていることを示唆している.

4.2 レントシェアリングと労働市場 (Rent-Sharing in the Labor Market)編集

 パート3のフレームワークで無視しておいた重要な次元は他にもある.それは労働市場のレント(超過利潤)の存在だ.多くの労働市場では,賃金はたんに限界生産物によって決まるのではなく,他の多くの要因を反映する.その中でも重要となる2つの要因は労働者の市場支配力と能力給/効率賃金 (efficiency wages) によるレントシェアリングだろう.この2つのレントが限界生産物に比例しているなら,パート3で導き出した結論があてはまる.しかし,労働者がこうした労働市場レントを受け取る度合いが時とともに変化してきたと考えるべき理由はいくつかあり,また,スキルのある労働者とない労働者(教育の高い労働者と低い労働者)でその変化は異なっていたかもしれない.たとえば,今日では経営者と非生産部門の労働者 (nonproduction workers) は少なくとも以前と同じくらいのレントを受け取っている一方で,生産部門の労働者は〔以前よりも〕少ないレントを受け取っている.

 米国労働市場の文脈では,労働市場レントの分配が変化したのかもしれないとする潜在的な理由が3つある.第一に,労働者のレントは彼らが雇用主とどれだけ効果的に交渉するかに左右される.そして,これは彼らがどれだけ組織されているかによって変化する関数となっている.労働組合は伝統的に労働者の団体交渉を協調させる役割を果たしてきた.米国労働市場のいける労働組合の重要性はこの30年で下降してきた.これには2つの重要な含意があったかもしれない:(i) 典型的に組合は他の部門よりも製造部門において強力なので,組合の弱体化によって製造業における準熟練労働者 (semi-skilled workers) の賃金が下がったかもしれない;(ii) イデオロギー的な理由であれ他の理由であれ,組合は伝統的に企業内の賃金構造を圧縮する〔賃金のばらつき・格差を少なくする〕(たとえば Freeman and Medoff, 1984 を参照).戦後のアメリカ経済で組合は多くの職業の賃金について交渉をしてきたし,間接的に経営者の報酬に影響することすらあった(DiNardo, Hallock and Pischke, 2000 を参照).また,組合は賃金の差を縮めようと表だって努めてきた.組合の弱体化は,こうした賃金の圧縮をなくし,賃金の不平等を増大させることとなったかもしれない.また,賃金の不平等は組合に組織された労働者よりも組織されていない労働者の間でよりいっそう増加したという証拠もある(Freeman, 1991, DiNardo, Fortin and Lemieux, 1995, Card, 1996 を参照).

 第二に,アメリカの最低賃金の実質的な価値は1980年代に急落している(たとえば DiNardo, Fortin and Lemieux, 1995 および Lee, 1999 を参照).最低賃金は低賃金を宇同社の所得を増やすこともしばしばで,また,全体の賃金圧縮を引き起こして不平等を縮小させる可能性もある(e.g., Freeman and Medoff, 1984 を参照).よって,最低賃金の浸食はレントを労働者から企業に,低賃金労働者から高賃金労働者にシフトさせた可能性がある.

 労働市場におけるレントの分配が変化したかもしれないという第3の理由は国際貿易の増加に関連している.たしかに,国際貿易が及ぼす直接の影響は限定されていると私は述べたが,しかし,国際貿易の間接的な影響が一部の労働者の賃金にとって重大なものとなっていた可能性はある.生産労働者が交渉によりレントを受け取る状況を想像してみよう.国際貿易の増加またはアウトソーシングの可能性は,雇用側の交渉力を強めるよう働き,労働市場のレントを減らす.このことが一部の労働者グループの賃金の低下に寄与していた可能性がある(たとえば Borjas and Ramey (1995), Rodrik (1996) を参照).

 こうしたチャンネルはいずれもなんらかのかたちで不平等の増大に寄与していると見込まれるものの,大きな要因となっていた可能性は薄い.これには3つの理由がある:

  1. 労組の弱体化と最低賃金の実質的な価値の低下は,米国労働市場における賃金の分散〔=賃金の差が広まること〕になんらかの役割を果たしてきたようにみえる(Freeman, 1991, DiNardo, Fortin and Lemieux, 1995, Lee, 1999 を参照).とはいえ,組合の弱体化と最低賃金の実質的価値の低下が生じたタイミングを考えると,おそらくこうした変化はそれ自体では不平等拡大の主要な駆動力ではないものと考えられる.アメリカにおいて,最低賃金が下がりはじめたのは1980年代以降であり,不平等が最初に大きく広がったのはそれに先だっている.アメリカでの組合弱体化にしても,その開始は1950年代であり,この時期には賃金の不平等は安定していた (Troy, 1990).1970年代の間,民間部門で労働組合への加入は減少していたものの,公共部門での組合加入は増加していたため,全体としての組織率は大して低下していなかった.1960年から1975年の間,全体としての組合の加入率はほぼ一定で労働力の約30%となっていた.もっとも大幅に労働組合が衰えることにつながったのは,1980年代の反労組の風潮と,そしておそらくは航空交通管制官のストライキの敗北だろう.これもやはり,不平等が急速に広まった1970年代前半よりも後のことだ.【脚注7】 他の国々の証拠も同様の見取り図を示している.たとえば,イギリスにおいて賃金の不平等は70年代の中盤で急速な増大をはじめている一方で,組合の組織率は1980年代まで増加しており,急速に低下しはじめたのは1980年代になってからのことだ (Gosling, 1998).カナダでは,労組の組織率は1960年代には 30% だったのが1980年代には36% 以上に増加している一方で (Riddell, table 4.1),賃金の不平等も増大している(たとえば,90-10 の対数賃金の差は大卒でも高卒でもともに 1986年の方が 1975年や1979年よりも高くなっている.e.g., Freeman and Needels, 1993, figure 2.4 を参照).
  2. アメリカにおける賃金のばらつきはあらゆる職業で増加している.組合とほとんど接点がなく最低賃金に影響されなかった弁護士・医者・エンジニアといった職業でも増加している (e.g.k Juhn et al, 1993).さらに,賃金の不平等はアメリカの賃金分布の頂点でも底辺でもじつに似通った増加をしている.Figure 5 はアメリカ労働市場における 90-10, 90-50 および 50-10 の 対数賃金格差[log wage differentials] をプロットしたものだ.90-10の格差は賃金のばらつきをはかるのに広く用いられる尺度だ.90-50 は,分布の頂点において賃金の分散がどう変化したかを示してくれる.というのも,これは高額所得者を分布の中央値と比較するものだからだ.同様に,50-10の格差からは賃金の分散が底辺でどう変化したのかがわかる.Figure 5 で注目すべき特徴は,これら3つの不平等の尺度がお互いに非常に近い軌跡を描いているところだ.このことから,おそらく賃金分布の頂点と底辺のいずれにおいても同様の要因が影響しているのがうかがい知れる.しかし,レントシェアリングの筋書きの多くはそれぞれに異なるふるまいを示唆する.そうした筋書きでは,相対的に所得の低い者のレントはカットされることになっているからだ.
  3. 仮にこうしたレントシェアリングの効果が重要だとしたら,不平等の増大のかなりの部分は産業を横断した平均賃金の変化によるものだと予測される.Murphy and Welch (1992) が示すところによれば,産業を横断した平均賃金の変化(産業効果 [industry effect])による寄与はごく小さなものだ.

以上の考察から,労働市場レントの分布の変化が賃金と所得の分布における変化の主要な決定要因となっていた見込みは薄いことが含意される.しかし,だからといって,そういったレントの変化が賃金構造の変化でなんらの役割も果たしていないことになるわけでもないし,また,労働市場の不完全性そのものが重要でないということにもならない.アメリカにおいて低賃金労働者の所得の実質的価値が低下したことは,労働組合の力の低下と最低賃金の浸食に関連している可能性が高い.労働市場の不完全性の重要性については,本レポートの次のパートで論じる.


4.3 良い仕事 対 悪い仕事 (Good Jobs Versus Bad Jobs)編集

 様々な証拠が、25年間の間にアメリカ経済において企業の構造の大きな変化が起こった事をしめしている。たとえば、チームによる生産やその他のハイ・パフォーマンスな生産手段が今ではアメリカ経済に広まった(たとえば、Ichinowski, その他、1997、もしくはApplebaum and Batt, 1994, Cappelli and Wilk, 1997、などを参照)。しかしながらその間、かつては低・中スキル労働者に開かれていた比較的支払いのよい製造業の仕事の多くが消えていった。Murnane and Levy (1996)はこれらのパターンと整合的なケーススタディーの証拠を報告している。多くの企業の人事担当者とのインタビューから、彼らはアメリカ企業の雇用慣行の変化について記述しているのだ。1967年のフォード・モーターのマネージャーはその雇用戦略を次のように語っている:「もし空席があれば、工場の待合室から誰かいないかと外をみてみる[we would look outside in the plant waiting room to see]。もし誰かいて、そいつが体が丈夫そうで、明らかなアル中ではなかったら、そいつを雇うわけだ」(p.19)。対照的に、1980年代後半、同規模の企業[comparable companies]はまったく異なるリクルート戦略をとっていたようだ。Murnane and Levyはホンダ・オブ・アメリカ、ダイアモンドスター・モータース(三菱とクライスラーの共同出資会社)そしてノースウェスターン相互生命のケースについて議論している。三社すべてがリクルートメントにかなりの資源を費やしていて、応募者のわずかな割合しか雇っていない。Kremer and Maskin (1990)は既存大手企業間での労働者のさらなる分別の証拠[evidence of more segregation of workers across establishments]を提出している。高賃金労働者は一部の大手企業に今ではさらに集中しているようだ。


Acemoglu HC-and-ID figure6.jpg

図6: 産業-職種セルにおけるトップとボトム25パーセンタイル(仕事の質の分布の両端のウェイト)における雇用の比率の展開


 同様に、Acemoglu(1999a)において、私は過去20年間における仕事の構成の変化について詳細に記述した。この論文の図6はその論文で発見したパターンを再掲したものである。この図は産業-職種セルのトップ25%とボトム25%に雇用されている労働者の合計のパーセンテージ(私はこれを仕事の質分布の両端のウェイトと呼んだ)をプロットしたものである。言い換えると、これは比較的高い賃金と比較的低い賃金を支払うセル(雇用のタイプ)である。1983年には、雇用の35%がトップとボトムの25%の仕事のカテゴリーに入っていた。1993年までには、この数字は38%を少し下回るところまで上昇した。よって、およそ2.5%多くの労働者が中位の質の仕事ではなく、より高いあるいはより低い質の仕事につくようになったわけだ〔原注8:分布の左端と右端、双方のウェイトが大きくなった(アセモグル、1999a、を見よ)。〕。仕事の分布の実際の変化はおそらくこれよりもずっと大きいだろう。仕事のタイプの実質的な変化はしばしばある職種(産業)の中でおこるからだ。

 仕事の質の分布の変化は賃金不平等にとって重要なものでありえる。多くの比較的低スキルな労働者(たとえば高卒者)はかつては製造業のような高い賃金を支払う仕事についていた。こういった製造業のようなタイプの仕事が消滅すれば、そういった労働者はより低い賃金の職につかなければならなくなるので賃金不平等が拡大するだろう。

 仕事の質の分布の変化はアメリカにおける不平等拡大の重要な仲介メカニズムであったようだが、そういった変化が起こったという事が我々のメインの結論をひっくり返すことにはならない。依然として、スキルへの需要を高めたり、あるいは仕事の質の分布の更なる変化を引き起こすような技術的変化はさらに不平等を拡大させるだろう。そして、仕事の質の分布における変化の結果として損失をこうむる労働者は、低いスキルを持った労働者なのだ。よって、人的資本政策のもっとも重要な目標はその分布のトップとボトムの間のスキルギャップを縮小するものであるべきだ。

 さりながら、仕事に良いものと悪いものあるということは、我々が他のタイプの政策について議論する時、多くの新しく考慮しなければならない点があるということだ。さらに経済はおそらく良い仕事を過小供給しているかもしれないと疑う理由もある。アセモグル(2001)において、私は企業による質の高い仕事の創出への投資は通常、過小なものになるだろうと主張した。その理由は、そういった仕事は当然ながらより生産的なものなのだが、しかし労働市場の不完全性ゆえに、このより高い生産性は労働者により高い賃金への交渉を可能にさせるから、というものだ。これはつまり、高い質の仕事の求人は従業員への高い賃金につながる正の(金銭的)外部性を作り出すということだ。企業はこの外部性を考慮にいれないため、高賃金の仕事は過小供給される傾向があることになる。これは仕事の質の分布の変化は不平等を拡大させるだけでなく、資源配分の悪化にもつながるかもしれないことを意味する。

 仕事の質の分布が不平等にとって重要なのには他にも理由がある。(小売りの仕事や、ファストフードレストランの仕事などの)低賃金の仕事は、その仕事について学べるものが少なく、人的資本の集積の機会に乏しいのではないかと思われる。その結果として、「悪い」仕事(低い生産性の仕事)の多くで労働者はいま低い賃金を受け取っているだけでなく、より高い賃金へと上昇する機会もあまり持てないかもしれない。そういったことの一つの例は、小売やファストフードレストランの仕事は充実した訓練を提供することがほとんどないことだ。対照的に、アメリカでこういうタイプの仕事につく多くの労働者もドイツでならなんらかの既存製造業に雇用されて、徒弟制度により充実したトレーニングを受けることができただろう(アセモグル and Pischke, 1998)。

 だが、「良い」(高賃金)仕事の割合と「悪い」(低賃金)の仕事の割合を気にする見方には反対する主張もまた存在する。たとえば、Topel and Ward (1992)はアメリカにおける男性労働者は労働市場での最初の10年で平均して六つの仕事につくことを記述している。さらに重要なことに、かれらはこういった転職の多くで賃金が上昇していることを明らかにしている。彼らが示唆するのは、労働者はそのキャリアのはじめの年月の間において、たとえばどういった仕事に向いているのかといったことなど相当の事を学ぶ(もしく特定の仕事についての人的資本[match-specific human capital]を集積する)のだという解釈だ。転職を繰り返す間に急速に賃金が上昇してゆくという事実は、この解釈と整合的である。よってこの見解は労働者はしばしば低賃金の仕事からはじめて、そしてより高賃金の仕事へうつって行く必要があるということを示唆する。この証拠は興味深いし、ある程度は説得的であるが、良い仕事と悪い仕事についての議論についてどういう意味があるのかははっきりしない。学習がおこなわているという物語は、労働者がファストフードレストランでの低生産性の仕事から始めてから、より賃金の高い製造業の仕事へ移らなければなければならない事を意味しない。逆に、彼らは自分に適していると考える分野からはじめるべきなのだ。よって、Topel and Ward (1992)の発見のより妥当と思われる解釈は、ある程度の学習はあるが、低賃金労働から高賃金労働への移動の一部は、多くの若い労働者が最初の時点で高賃金の仕事を見つけられなかったという事実を反映しているというものだ。

 また別の重要な点は、ある種の政策は仕事の質の分布(良い仕事と悪い仕事の割合)に影響を与えるだろうということだ。具体的には、最低賃金や失業保険といった、賃金の[分布の幅の]圧縮を促進する政策は、企業が彼らの従業員に高い賃金を払わなければならなくなることを意味する。いったん彼らがより高い賃金を払うことになる事を理解すれば、雇用者達にとってその労働者達の生産性を高めることがさらに意味を持つようになる。かつては(つまり賃金の圧縮前は)、生産性が低かったが賃金も低かったようなある種の悪い仕事は雇用主にとって利益があっただろう。しかし、いったん雇用者がそんな生産性の低い仕事にもより高い賃金を払わなければならなくなれば、彼らは仕事の生産性をより高めるようになるだろう。アセモグル(2001)はこういったアイデアがかなり広く適用可能なことを示し、そして最低賃金と失業保険を高めることが雇用の分布を低賃金の職種から高賃金の職種へとシフトさせることを示唆する実証上の証拠もまた提供している。レポートの次のパートで私はこの点に戻ることとする。


4.4 結論 (Concluding Comments)編集

プロポーザルのこのパートは、不平等についてのシグナリングや選択の効果、レントシェアリングの変化の重要性、そして仕事の構成の変化が及ぼすかもしれない効果など、賃金不平等の追加的な決定要因についてのサーベイを行った。こういった三つの要因すべてが理論的には、前のパートの終わりでの結論の一部を変更させるかもしれないような不平等の重要な決定要因でありえる。しかし、これらの要因もこれまでの主要な結論を変更させることはないと私は結論するものだ。 まとめると、

  1. シグナリングがある場合、教育の普及・向上は、教育水準の低い労働者はその能力が低いのだとみなされることで、不平等の拡大につながるかもしれない。だが理論的にはこのケースはありそうなものではない。さらに、アメリカからの証拠はシグナリングと選択の効果の重要性は限定的なものであることを示唆しているし、選択とシグナリングの変化は、アメリカでの不平等の拡大には比較的小さな役割しか果たしていないように思われる。
  2. 労働市場のレントの労働者と企業の間での配分の変化も、アメリカの不平等を拡大させてきたようだ。しかしながら、これまでのところの証拠はこういった要素は不平等の拡大の主要な原因ではなく、それを強めた要因であったことを示唆している。
  3. また一方で、仕事の構成はアメリカ労働市場において大きく変化してきたし、その変化は賃金分布へ重要な影響を与えてきたかもしれない。さりながら、そういった変化があったという事は前のパートの終わりでの結論に影響を与えるものではない。

全体として、前のパートで強調したごとく、不平等を縮小するのにもっとも効果的な政策は、労働者の間でのスキルギャップを縮小させるものであるだろうと、私は結論する。

広告ブロッカーが検出されました。


広告収入で運営されている無料サイトWikiaでは、このたび広告ブロッカーをご利用の方向けの変更が加わりました。

広告ブロッカーが改変されている場合、Wikiaにアクセスしていただくことができなくなっています。カスタム広告ブロッカーを解除してご利用ください。

Fandomでも見てみる

おまかせWiki